⑦ジラール・ペルゴについて
ジラール・ペルゴは、1791年にジャン・フランソワ・ボットが時計を製作した時に創業されたメーカーであり、その後幾多の改称を経て現在の名称となりました。
ペルゴの名声は1867年と1889年のパリ万国博覧会において懐中時計「スリー・ゴールド・ブリッジ付き懐中時計」がともに金賞を受賞したことで確立しました。
この後、ペルゴはヨーロッパを地盤に日本や南米にも進出し世界的なシェア獲得を目指して発展してきたのです。
1960年代には世界初の毎時3万6千回振動する機械を開発し、クォーツの周波数の世界規格にペルゴ社内で決定した3万2768hz
が採用されるなどで脚光を浴びてきました。
その後も万博で名声を博した「スリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨン」の腕時計を創業200年を記念して1991年に製作するなど往年の名機の復刻にも精力的に取り組んでいます。
⑧Jaeger LeCoultreについて
Jaeger LeCoultreは1883年に鍛冶を家業にしていた家系のアントワーヌ・ルクルトがスイス・ジュラ渓谷のルサンティエで時計部品製造を開始した時が創業にあたります。
アントワーヌ・ルクルトは1844年には1000分の1mmを測定できる装置を発明し、時計の精度を大幅に向上させることに貢献し、1851年にはロンドンの第一回万国博覧会でリュウズで主ゼンマイの巻き上げと時刻合わせを行う1847年に開発した懐中時計を出品し金賞を受賞しました。
その後もJaeger LeCoultreは世界最小の時計機械製作や世界初の自動巻き式アラームウォッチ「メモボックス」を開発しその実力を評価されてきました。
同社は自社製品製作にあたっては一貫して自社開発に拘るという姿勢を貫いており、現在の製品ラインは角型「レベルソ」と厳格な試験を通過したモデル「マスター」の2大ライン体制を敷いています。
⑨A. Lange & Söhne について
A. Lange & Söhne は1815年に生まれた時計師フェルディナンド・アドルフ・ランゲが1845年にザクセンの首都ドレスデン南郊のグラスヒュッテに工房を持つことで始まりました。
他の多くのメーカーと違い同社は純粋にドイツ系の会社です。
工房を持つ前の段階でアドルフは、1830年以来宮廷付き時計師であるヨハン・クリスチャン・フリードリヒ・ガトカスについて時計作りを修行していました。
社名のA. Lange & Söhne は「ランゲとその息子たち」を意味し、その名の通りアドルフの息子の一人フリードリヒ・エミール・ランゲらが非常に優れた技術と美的才能を発揮し、名声を博していきました。
その後、第二次世界大戦の結果ランゲの工場は壊滅的な被害を受け、東ドイツの国営企業に接収されたりして混乱の渦中を潜り抜けてきましたが、1990年にアドルフの曾孫のウォルター・ランゲにより新生A. Lange & Söhne が復活し、伝統の時計作りが蘇りつつあります。
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